2008年5月3日土曜日

石油枯渇4:「2038年」へ向けて


 石油枯渇4:「2038年」へ向けて
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 「適正人口」のあとに、この「石油枯渇」をやっていると、ちょっとバカバカしく思えるときがあります。

 適正人口の場合は、日本は「2050年」に1億人になる。
 人口爆発が沈静化に向かいつつあるので、これはほぼ分かっている。
 1億人になってから、さあこれから「どうする」という問題が主なる探求のテーマになる。
 同じようなスピードで減りつづけ8千万人を切るかのか、それともソフトランデイングして9千万人ぐらいで落ち着いてくれるのかといった論で、その見通し日付は「2100年」である

 ところが、人口が1億人になって、さあこれからやっと主要なテーマに入るだろうというとき、すでに「石油」の議論は終わっているのです。
 どのデータを覗いてみても、悲観論でも楽観論でも、せいぜいのところ十数年程度の差しかない。わずかな年月の差を捉えて、ああでもない、こうでもないと言っている。

 日本の人口が「静止人口」になるであろうと思われる「2100年」のとき、どうひっくり返っても容易に取り出せるコストの安い「石油」はないようなのです。
 「天然ガス」もほぼないようです。
 どうもエネルギーは「非常に高価」な代物になっているようなのです。
 なら、8千万人から9千万人の日本人はどうなるのだろう。

 緑を失ったエジプトのように、日本人は、いや「世界は砂の中に沈んでいく」のだろうか。
 それとも採取高価なエネルギーをふんだんに使えるほどの、「スパーリッチになっている」のだだろうか。


 想像でものを言うなら、もはやそのとき石油は我々の前に「目に見える形」では存在していないだろう、ということである。
 我々のだれもが「ウラン」をみたことがない。
 しかし、電気の3割はウランが作り出している、そんな日常では見ることのないエネルギーに変わっているだろう、ということではないかと思う。
 そこでは、ウランの値段を知らないように、原油の価格に一喜一憂することもなくなっているのではないかと思う。

 今の子どもたちは炭を知らない、練炭も、石炭も、コークスも知らない。
 エネルギーはスイッチを入れるか、コックをひねるかで出てくるものに変わっている。
 形を知っているエネルギーといえば、車に入れるガソリンと暖房用の灯油であろう。
 それが炭や練炭のように見知らぬものになっても不思議なことではない。

 1億を切ったとて人間がいる限り、日本は存在し続ける。
 そして、何らかのエネルギーを手にしているはずである。
 誰も「砂に沈みゆくことを望んではいない」。


 報告書の読み込みを続けましょう。
 箇条書きにしてまとめてみます。

1.
 10億バレルを越える超巨大油田を、あるいはそれに次ぐ規模の油田が発見される可能性はあるか。
 イラクの西部砂漠地帯に一部取り残された土地もあるが、「炭化水素」の存在する可能性につき、最大値最小値の予測はほぼ出揃っている。これによれば、30年あるいは50年にもわたって生産を続ける規模の油田を発見することは難しくなっている。

2.
 いずれの油田も生産量のピークを超えるとともに、生産は減退に向かう。
 生産量を補うための技術的手段として「増進回収法:EOR」を実施するが、生産コストは1バレル当たりで7~8ドル跳ね上がる。

3.
 英国政府は「北海油田」からの生産量にかんしての報告書を発行して詳細なデータを公開している。
 マーチソン油田は1975年に発見され、5年の準備期間を経て、1980年から生産が開始された。日量11万バレルの生産量に達したのち、3年間はピークを維持した。その後、生産は減退に向かい、2001年は日量約6千バレルとなった。
 この報告書によると個々の油田でのピーク量を維持できる期間は数年であり、ピーク生産をカバーできる規模での設備はピークを過ぎたとき、経済負担になりコストを引き上げる要因になる。

 よって、埋蔵量の推移を考える場合に最も重要なのは「生産量ピーク」がいつ到来するかという点である。

4.
 OECDのIEAは、世界の石油需要が今後、拡大するのにあわせて、増産可能なOPECが中心になって石油供給の大幅な増大を行うと予測する。
 これはOECDが中東OPECが2030年に「5000万バレル/日」を超える生産が可能という埋蔵量を算出しているからである。

__________中東OPEC___
--------------------------------
2000年実績::2,100万バレル/日
2010年予測::2,650
2020年予測::3,780
2030年予測::5,140

5.
 一方、楽観派にも悲観派にも組みしない、「イラン国営石油会社 NIOC」のバクチアリ氏(Bakhtiari)という方は、中東諸国は2010年までは増産するが、その後、生産量は激減し、2020年には「1,742万バレル/日」に止まると予測する。

__________中東合計__
--------------------------------
2000年実績::2,304万バレル/日
2005年予測::2,295
2010年予測::2,419
2020年予測::1,742

 石油価格が上昇したとしても、新規石油開発が始まって生産量が増える可能性は、埋蔵資源量が減りはじめると、急速に後退するという。
 これは、世界のエネルギー需要は今後も増えるにもかかわらず、石油生産余力を持つ中東諸国においても、「生産制約」が生じ、「生産量上限」が存在するという意味を持つ。

 つまり、新規の大型油田の発見が減少していくと、中東産油国は石油に対する需要があるにもかかわらず、「既存の油田を維持」しようという傾向が強まり、増産せずに、「生産量を減退に向かわせる」立場になる。

6.
 世界最大の埋蔵量を誇るサウジアラビアについて、残存埋蔵量と累計生産量が合致する年次、すなわち「ピークオイル」と呼ばれている年次を、IEAのデータから計算してみる。

 サウジアラビアが2003年以降、毎年「1,500万バレル/日」の生産を行った場合、埋蔵量の「半分」を使ってしまった時点で、国としても「生産を減少せざるを得なくなる可能性」が拡大していくのが「ピークオイル」時点である。
 「2026年」にピークオイルに達する。
 もし、減産方向で調整し、毎年「1,000万バレル/日」とした場合はどうなるか。
 「2038年」にピークオイルに達する。

 これには「12年」の差はあるが、今の予測では「必ずピークオイルは来る」ということである。

7.
 今後順調に増産をして生産量を維持できると予測されているのはイラクのみである。
 イラクのみが中東で多量の未発見量の存在が推定されている。
 ただし、サウジアラビアを上回るほどの石油資源が発見される「可能性はない」という評価がなされている。

8.
 これまで考察した結果、2010年まで世界の産油国としての世界における地位は確保できるものの、その後は急激に生産量が減少していく中東産油国が出現する可能性がある。
 石油生産量が2020年に向けて急減する可能性が言われているのは、イラン、UAE、クウエイト、オマーン、カタール、イエメンである。
 特に、オマーン、イエメンといった国は将来は産油国から、石油輸入国になる可能性がある。


 この報告書は主に「中東産油国」にスポットを当てたものであるが、世界的範囲に拡大しても異議の発生するものではないだろう。
 アウトラインはこうなる。


 すなわち、OECDは需要があって「金」さえ払えば、産油国は石油を生産するであろうという、「オイル商品論」の立場にたっての需要供給の単純な経済学で割り切ろうとする。

 しかし、産油国はそうは考えていない。
 埋蔵量が半分になった時点で自国の「石油の保全」を考える。
 「虎の子の石油」を無制限に国外に出すことにブレーキをかけはじめる。
 これは誰もが考える、ごく普通の心理・論理だ。

 預金が十分あるなら、ばんばん使ってもいい。
 だがそれが半分まで減ってきたら、「これはヤバイ」と考えて不思議はない。
 少し節制節約をしないといけない、そう考えるのはあたりまえのこと。
 これを拡張していくと、「石油は枯渇しない」。

 しかし、需要はある。
 供給されなければ価格は上がるしかない。
 価格が上がれば産油国は少しの生産量でやっていける。
 少しの生産量でやっていければ、さらに生産を増やす必要はなくなる。
 「石油は決して枯渇しない」。

 出なくなった油田も、金をかけ技術を導入すれば隅の方から生産できる。
 石油の値段が上がっても売れれば技術導入してもコスト的にペイする。
 「石油の枯渇はさらに遠のく」。

 大して採掘しないので残された可採埋蔵量は予定より増えることになる。
 でも、石油の値段は上がる。
 値段が十分上がれば、今度は「非在来型石油資源」の開発も可能になる。
 さらに石油はダイヤモンド化する。

 「石油はいつまでたっても枯渇しない」



 報告書の最後にある「まとめ-中東産油国の石油依存と今後の課題」を抜粋しながら見ていこう。

 確認可採埋蔵量に未発見量を加え、その合計を生産量で割った「生産可能年数」でみるよりも、「ピークオイル」の考え方を採用し、この到来時期に注目して「石油生産最適量」を考えることが必要である。
 ピークオイルの時期を迎えたあとには、石油生産量の急減の可能性が存在している。

 その可能性が存在する国においては、今から国内のインフラ整備、人材の育成のために資金を効果的に使用し、石油輸出量と輸出額の急減に備える必要が生じる。
 中東産油国の一部の国においては、2010年以降には、その経済的基盤が揺らいでくる可能性がある。
 産油国は石油収入に依存する体質をすでに経済構造の中に組み込んでいる。
 石油関連の輸出額はイランで8割、サウジアラビアで9割、クエイトではさらに比率が高い。

 今までの検討内容からみて、2010年までは産油国としての存在価値を維持することができ、世界のエネルギー供給者としての役割を担うことができる。

 しかし、「2010年」を過ぎると、この立場から脱落していく諸国が出現せざるをえなくなる。

 以上の状況から判断すると中東産油国は「2010年」をメドとして、国内の構造改革を進める必要が生じてくるのは明白である。
 残された時間は多くなく、この時期を逃すと、その先は収入の減少するとともに、国内の基盤となる産業が育っていないまま、人材の育成も進まないままに、財政逼迫という事態を迎えざるをえない。
 現在得られている石油収入に目を奪われることなく、国作りと国民の能力向上のために、有益な分野への選択的な資金投下をしていくことが必要になってくる。

 個々の油田の「生産可能量」の集合として各国の「石油生産上限値」が決まるという「基本的知識」をもったうえで、最適なエネルギー選択についての議論を深化させていく必要が生じている。


 上記から考えられることは、「2010年対策」に向けて産油国は手段を講じているはずである。
 それが、この10年ほどのガソリンの高騰につながっていると見ても、あながち的外れではないだろう。
 年明けの1バレル100ドルの史上最高値はその反映であろう。

 「石油は埋蔵量の多少で生産量が決まるわけではない」

 石油を抱えている大地は技術者の計算機に文句はいわないが、それを掘る組織は人が作り、常に「国家保全」を念頭においている。
 石油生産上限値とは自然が決めるわけではない。人間の集合体が決めるものである。
 技術的に可採可能であっても、人間の集合がダメといえば、可採されない。

 よって「石油は絶対に枯渇しない」。

 「2010年対策」を怠った国は、ピラミッドと同様にエネルギーを使いすぎ、未来の砂に埋もれていく。

 アメリカが膨大な軍事費を投入してイラクに介入し続けるのも、そこが「最後の石油基地」になるという目算があってのことである。

 世界はヒューマニズムでは動かない。
 でも「損得」ならだれでも動く。
 世界は平和理論では動かない。
 「ゼニや」で動く。
 ゼニや、というと顔をそむけたくなるが、近代語に直すと「経済」という。
 単に言葉を変えただけ、中身は同じ。
 それだけで人間の意識が変わる。
 心理とはそういうもの。

 つい最近までその経済(ゼニや)を生み出す仕組みでアメリカとソ連が争っていた。
 いま世界は「ゼニや」を民主主義という名のオブラートに包んで動く。
 誰もがそのことを知っている。
 そのオブラートの「シワのより方」を論議しながら、中身を漁っている。

 サウジアラビアが生産量上限値を低めに抑えても、「2038年」にはピークオイルに到達する。
 世界は「2038年対策」に向けて動き出しているはずである。

 世界の大きさからいうと琵琶湖などはとるに足りないものであろう。
 その18個分しか、石油は採れないということであるかぎり、これから未来に向かって常にドラマはつきまとう。
 たった「18個分」の喜悲劇。

 仮にそれが倍の「36個」に増えたとしても同じこと。
 埋蔵量を計算しているかぎり、いつか枯渇するという不安がつきまとっている。

 それは「人類の寿命」と「石油の残量」との比較になる。
 どう考えてもこの比較、「石油に分がない」。
 そういうモヤモヤとした不安がつきまとう限り、ガソリンの値段は少しづつでも上がり続け、決して下がることはない。
 少しづつでも上がり続ければ、枯渇するのではないかという不安が輪をかけて大きくなる。
 この循環を断ち切ることはできない。

 枯渇の心配をしないでいいものは、「海水と空気」だけ。

 21世紀中に安いエネルギーは使いきってしまうということ。
 22世紀には安くふんだんに使えるエネルギーは何処にもないということ。
 静止人口が9千万人を下回ることになるかもしれないと見られる日本人はどんなエネルギーで日夜を過ごしていくのであろうか。

 あと「30年」の間に、世界の姿はガラリと変わる。

 人口は増える、石油は高騰する。
 もう決して価格が下がることはない。
 消費国家の目算では動かなくなる。
 生産国家の「国家保全の論理」で動くようになる。

 中東の原油生産量が増えることは期待できない。
 でなければ、生産国家はピラミッドのように「未来の砂」に沈んでいくしかない。
 「石油の保全か、ピラミッドの砂か」、である。

 では、どう変わるのだろう。
 ここからはSFの世界になる。

 まず、リッター5キロの4WDが姿を消しはじめる。
 今、普通乗用車はリッター10kmくらいだ。
 となれば5キロの4WDは日本ではいらなくなる。
 4WDはマニヤの車になる。
 雪道はタイヤ仕様でカバーするようになる。

 すべての車がリッター20キロの目標を持つようになる。
 技術的に対応できないメーカーは市場から消える。
 エコカーと軽自動車が全盛になる。
 リッター30キロは可能か、エコカーも四苦八苦する。
 リッター40キロはどうか、これは無理、ほぼ全滅する。

 ガソリンで走る車が消えていく。
 乗用車は電気自動車になる。
 パワーを必要とするトラック関係は「天然ガスエンジン」に積み変わる。
 電気自動車は構造がシンプルなため、方々の分野からの参入がある。
 そして「白物」と呼ばれるほどになる。

 いまある自動車メーカーのうち、大半が見切りをつけてこの分野から撤退する。

 機関車は黒い煙を吐いていた。
 昔のことであるが、トンネルに入った。
 田園風景に見入っていたその空けた窓から油煙が座席に入り込んできた。
 あわてて窓を閉めた。車両内は臭いが私の不注意で充満してしまった。
 機関車はデーゼルに変わった。
 石炭から石油へ燃料が変わった。
 次は電車である。
 この車両、「燃料を積んでいない」。
 今は「燃料なしで走る車両」が全盛である。

 自動車もその歴史をたどるだろう。
 昔の家庭には必ず燃料が保管されていた。
 薪であり、炭であり、練炭であった。
 今の家庭に保管されている燃料といえば、車に積んだガソリンである。
 エネルギー変化の軌跡をみれば、自宅に燃料を置くという形は、早晩消えていくだろう。
 おそらく、プラグインの電気自動車が普及するだろう。

 それにつれてガソリンなるものが、我々の目に見えるところから消えていく。
 ガソリンスタンドはなくなり、「天然ガススタンド」がちらほらになる。

 石油は何処へいくのか。

 これまでのような巨大発電所が様変わりし、産業用、あるいはピーク時の不足に備えるサポート発電所に変わる。
 一市一基、一村一基の天然ガス系の小型発電所が生まれはじめる。
 効率のいい、かつ大気汚染や温暖化防止対策が最大限とられた人智を傾けた小型発電機が開発され、家庭用はそれでまかなわれ、自家用車のエネルギーになる。

 消費国家は「今の生産量でまかなう体制」を作る方向へ向かわざるを得ない。
 それが「2038年対策」。

 石油から天然ガスへの転換が急速に進む。
 天然ガス技術が高度にレベルアップする。
 そして、来世紀に向けては、見通しのしっかりした石炭の見直しが始まる。

 世界はこれに向けて走っている。
 まず、まちがいない。
 あと、「30年」である。
 「2050年」日本の人口が1億人になったとき、その姿はドラマチックに変わったものになっていることだけは確かである。

 「2100年」日本の人口が8千万人、あるいは9千万人になったとき、もし今あなたが40歳だとすると、あなたの曾孫があなたと同じ40歳になったときがその年になります。
 そこでは、今の形での石油はないだろう。
 しかし、石油は採掘可能な地下に眠っている。
 「石油は枯渇していない」。
 ただ、湯水のようには可採はしないだけ。
 ひ孫たちはエネルギーに何を使っているのだろうか。


 なを、2005年版の資源エネルギー庁「エネルギー白書」の「石油」のホームページは下記になります。

★ 資源エネルギー庁 エネルギー白書2005年版 石油
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2005/html/17022210.html



<おわり>



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